no.00 義父の介護放棄のあれこれ

「お金盗んだでしょ!」

義祖母が主人を家中追いかけまわす事件がありました。

もちろん主人はお金なんて盗んでいません。

 

痴呆が始まった義祖母はお金が盗まれたという妄想に憑りつかれるようになりました。

痴呆の初期症状でよくある話です。

うまく対処すればすぐに落ち着きを取り戻すことができたのですが、

どうも義父が追い込んだようで、症状はひどくなり錯乱状態で暴れる結果になってしまいました。

 

 

義祖母の痴呆を受け入れない義父

「俺はボケたなんて思っていない。

 それに証拠がなければ息子が盗んでないってことも信じない。」

そして後日、義父は義祖母の部屋に怒鳴り込に行ったようです。 

「部屋に息子(義父)が来た…部屋中の物をひっくり返された。私は息子に殺される…こわい…こわい!」

義祖母に泣きつかれてもどうしようもできず…症状はひどくなる一方でした。

義祖母は私に主人に多額のお金を貸し、そしてさらに盗まれたと主張するようになりました。

「あなたの出産費用をね、私が貸したの。仕事で500万必要って言われたから貸したの。一緒に銀行に行ったのよ。バックの場所を知ってるのは孫(主人)だけ。だからあの子が盗んだの。」

延々と繰り返し話続ける義祖母。

もちろんそんな事実はありません。

 

そして毎晩ウィスキーをがぶ飲みする義父は、酔った勢いで階段から義祖母を突き飛ばしました。

その現場を見たわけではありませんが…家に響く大きな音と、次の日病院で見つかった大きなアザ。証拠なんてなくても何があったかくらい誰でもわかる状況でした。

 

主人が義父に何を言っても

「俺は何もしない!」の一点張り。

 

私と二人の時にも

「俺はあいつを家族とは思っていないから。何もしないから。」

そう言ってきました。

「私からお父様になにかお願いすることはございません。」

私は息子を抱きしめ、聞こえないよう耳をそっと塞ぎ。

震えながらそう言うしかありませんでした。

義父は満足したのか、黙ってなみなみと注がれたウィスキーを飲み続けました。

 

義父のイジメ

義父は気に入らないことがあると行動で相手を追いつめるタイプでした。

初夏にも関わらず義祖母の部屋のブレーカーを落とし電気を使えないようにし

義祖母が外部と連絡を取れないよう電話線を隠しました。

買い物に自分でいけないにもかかわらず食料をあたえず

庭先の水道以外使えないようしてしまったのです。

 

死んでしまうと思い、かばった私には息子と二人の時にエアコンを切られる、泣いている息子を平然とまたぐなど産後のメンタルには耐えがたい仕打ちでした。

 

ころころ変わる意見

義父も一度は介護を受け入れた時があります。

お酒も回っていない時にゆっくりと義父に尋ねたことがあります。

「おばあ様のことで困ってませんか?このような制度がありますよ?」

その時は私の話を聞いて一度だけ近所の介護施設に一緒に説明を聞きに行きました。

そして一度は前向きに考え出したのです。

「病院にも俺が連れていくよ」と。

 

しかしことが進めばうまくいかないことも増えだすと

「俺はやらない。」

と怒鳴り始めたのです。

そしてならばともう放っておいてこちらでどんどん事を進めようとすると

「俺はお前(ajisai)のお父様だろ?上司みたいなものなんだから俺が聞かなくても部下のお前が自ら報告すべきだろう?」

と言い出して私をかばう主人と口論していました。

そんなころころ変わる態度と意見に戸惑いました。

 

しかしそんな態度の奥に隠された秘密を私は最近、気づくことができたのです。

この人は「やらない」のではなく、「できない」のだということを。

 

義父のプライド

「俺は悪くない悪いのはあいつだ。俺が傷ついたのはあいつのせいだ。」

義父は常に物事をそう捉える人でした。

産後のストレスで体調が崩れて義父のご飯を作れなくなった私に。

「俺だけ仲間はずれでどんな思いかわかるか!」と怒鳴り、

「俺はあいつ(義祖母)にこうする理由がある。あいつが悪い!」と主張する。

気に入らないことは全て他人のせいでした。

 

しかしそのプライドは今にも崩れてしまいそうな非力な自分を必死で守るための物でした。

「できない」自分を隠すために「やらない」と言い

「わからない」自分を隠すために「やらない」と言う。

二度の離婚を経て、母親(義祖母)にも見限られ、息子と娘にも嫌われている義父。

頼りの嫁の心が離れていくのを感じてとった行動が「お前は俺の部下みたいなもんだ」という発言だったのです。

 

私はそんな義父を見て

この人は今まで愛されてこなかったんだと気づいたのです。

 

義父の過去

私は主人に義父はもしかして義祖母の愛に飢えてるのではないか?と尋ねました。

主人は知っている義父の過去について話出しました。

 

義祖母は大手会社に勤めバリバリに働いていたそうです。

義父のご飯は弁当が多く、寂しい思いをして育ったそうです。

父親は若くして他界し、妹とは不仲。

予想通り義父はこういった環境に立ち向かうことなく生きていき、自己肯定感が低い人間に育ったのです。

 

暴力や暴言で弱い自分を守っていたのです。

 

そんな義父との関係に

私は三つのことをするようにしました

  1. 挨拶をする
  2. 優しい声で話す
  3. 「ごめんなさい」「ありがとう」を徹底する

言い方をかえると

それ以外しないということにしました。

 

話すときは目を見ません。雑談はお天気の話程度。聞かれたことは返すけどこちらからは用事以外話しかけない。

まるで道端で偶然会った他人と接するように。

失礼のないように。

 

私はよく夫婦喧嘩をします。

怒りのほとんどが「なぜ愛するあなたは私の苦しみをわかってくれないの?」につきます。

それは相手に理解してほしいから、相手を理解したいからもつ感情なのです

 

義父に持つ感情にそれは消えました。

義父がどうこれからの人生生きようと関係ありません。不幸になってしまえとも思いません。幸せでもなんでも興味がないのです。

私は自分たちの生活を守るだけです。

 

それは結果、礼儀正しく義父の言う部下をこなしている私に

 寂しくても文句を言えない義父の本当の孤独になっていったのです。